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汎神論(はんしんろん、英: pantheism)とは、神と宇宙、または神と自然とは同一であるとみなす哲学的・宗教的立場である。

ネットサーフィンでこの言葉を知り、以前、臨死体験?で感じた、悟った光景は汎神論と呼ばれるものだったのだと思った。
この地球が、宇宙が、世界の理や真理、平たく言えば、命が生まれたり死んだり、食物連鎖とか、何かしらの命を奪い食して生き物は生きているとか、太陽や雨、地震や隕石、災害といったこの世界の理、この世界の全てが、人々が"神"と呼ぶ霊的、超越的存在のことなんだなあって。

神道とかに近い、というかかなり神道というか。

まあ、宗教とかではなく、単なる個人的な信仰かな。
というか、そこまですごく信じてるわけでもないけども。
ただ、神道の考え方とかはなんとなく生活の中で馴染んでて、それをカミ(GODではなく)と捉えてはなかったけど、"なんだかよく分からないけど敬っておこう"という存在で、ぞんざいに扱えばバチが当たりそうだなと思うくらいには信じているんだと思う。

だからって、誰かに神様はいると思う?って聞かれても、いる!とは答えられない。
一方でいない!とも答えられないけども。

まあこれは汎神論とは話がずれるけど、私のためだけの私の神様?はいたりする。
それはなんというか、他人に理解されるような存在でもないし、私の空想の産物と言ってしまえばそれまでだし…
他人に理解してもらおうとも思ってないし、信仰や宗教とは程遠い、むしろ単なる私の心の拠り所という表現が近いかな。


それから、様々な宗教で死後の世界について語られてるけど、それも同様に、死んだことないし分からないとしか答えられない。


指導医の先生が前に言っていた。
患者さんがなんらかの宗教を信じてたら嫌がる医療者は多いけど、そうやって何かの宗教信じてる人は死ぬ前に無宗教の人に比べて、苦しくなさそうなんだ、だから宗教が救いになることもあると思ってる。
と。

実は某宗教信者で、輸血拒否問題があったがために、新興宗教信者であった場合、医療者はどうしても警戒してしまうことがある。
もちろん信仰している宗教で、態度や医療の質を変えたりは絶対にしない。
ただ、救命のために行う輸血や生物学的製剤の投与を、宗教上の理由から拒否されてしまったら、どうしたものかと医療者は途方にくれてしまうことがある。
助かる命を目の前で救えないもどかしさ。
私自身も際どい症例にあたったことがあるくらいには、よくある問題なのだ。

という前置きがあっての、指導医の先生の言葉なのだが、確かにそれには強くうなづいた私がいた。
現に、神道2割、仏教0.5割、残り無神論くらいな私は、いざ自分が死ぬなって時に、死んだ後が怖くてたまらなかった。
死んだあと、自分という存在がこの世界から消えて、そのあとどうなる?と考えて、あの世なんてないんだ、私は消滅するのか…と恐ろしくなってしまった。

ということを、患者さんが「死ぬのが怖い」あるいは逆に「死ぬのは怖くない」と言うのを聞くたびに、思い出す。
現に今日、患者さんに「死ぬのは別に怖くない。苦しむのは嫌だけど」と言われて、上記のようなことを思い出してた。

信じる信じないとか事実がどうとかでなく、
単なる希望だったら、天国でも地獄でもない普通の異空間みたいな"あの世"で適度に休んで、良い頃合いに輪廻転生で違う人生歩んでみたいなと思う。
それから、死んだ家族とか友人とかにあの世で会えて、さらに、生きてる家族、友人に夢の中とか、お盆とか、そういう期間限定でいいから会えたら、もう後は言うことないなあ。


事実がどうかなんて死んだことないんだから私が知るわけないけど、
死ぬのは怖い………
って死ぬ前にきっとなるだろうから、事実はどうあれ、
上記のような死後の世界の希望を、"私の中だけの事実"としといたって、きっと誰も文句は言わないはずだ。
だから、"私"の死後の世界は、こんな感じってことで。
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明らかに先月とは違う。
忙しい。
でも、忙しい方が楽しいし、気が楽。
余計なこと考える前にやることがたくさんあるし。
やることないことの苦痛よ。

私は忙しい方が好きなのかもしれない。
病院の宿舎がとても広かった。
3LDK
一人では広過ぎて寂しい。

テレビの音を消してしまうととても静か。

ダ○○ハウスのCMのように私も狭い方が好き。
狭いところにたくさんのものをぎゅっと詰めていれば寂しくないし、そんなに動かなくても良いし。

全く眠くないのだけど、寝ないとなあ
今まで勤務してた病院とは別の病院に明日から2ヶ月間勤務することとなっている。
そこは今までのところから高速で1時間ちょっとのところだったので、病院の近くの宿舎を借りて、住むこととなった。
宿舎には家電、家具はあるものの、生活必需品は全くなかったため、引っ越しのような大移動となった。

ものを運んでいる時、フライパンの蓋を落としてしまって、割れた。
結構気に入ってたからショックだった。

だけど、まあ高速道路が苦手な私が、無事現地に着けたのだから、フライパンくらい、大したことないと自分に言い聞かせて、気にしないことにした。

明日から新しい場所で、新たな診療科、それも循環器内科だから、かなり忙しい。
正直、緊張するし、不安もある。
だけど、色々学べるチャンスでもあるし、頑張ろうと思う。

うまくいきますように
私は昔から死神が見えた。
なんて言うと大抵引かれるか、頭のおかしな人だと思われて終わる。
それに、なにより私自身が自分のこのなんとも言えない特殊能力???を、単なる観察力がすごく優れてるだけだと思ってたし、今も思っている。
あの人ならざる者=死神は、私の幻覚なんだと思ってる。

死神なんて書いてしまったから、大鎌を持った骸骨か青白い男を想像しそうなものだが、私が見るのはごく普通の人間の姿。
だから、それが人ならざる者だと気付くのにいつも時間がかかってしまった。

始めてそれを見たのは母の時だったろうか。
私が幼稚園生だった頃、母が入院した。
その入院自体は鼻の手術で命の危険なんてこれっぽっちもなかった。
だから、私も母も父もヘラヘラしていたわけだ。
だけど、それは病室にいた。
20代前半の若い女の人で、まるで看護師さんみたいだった。
6歳くらいだった私は「お母さん、いつ帰ってくるの?」とありがちな質問をした。
そしたら、その若い女の人は「永遠に帰ってこないよ」とニッコリ笑った。
そんなの嘘だ、そう思ったけど、怖くなった私は泣き出して、ずっと泣いて、手がつけられなかったらしい。
だけど、大きくなってから尋ねたら、そんな人はいなかったらしい。
そして、普段滅多に泣くことのない私が、突然泣き出したことに、父はとても困ったとのことだった。
そして、この話の怖いところは、幼かった私にはその当時教えてもらえなかったが、その手術の直前に用意していた薬の濃度が1桁違うことに気付いて、病院の偉いさん方達が総出で母に謝りに来たのだった。
もしそのまま手術していたら、術中に確実に死んでいたらしかった。

その後も、死が間近に迫ったり、亡くなったりする人の近くで人ならざる者を見ることがあった。
私はそれを死神とよんだ。

例えば、何年も病気の同級生の子がいた。
1、2ヶ月学校に来てはまた数ヶ月入院のため休んでを、10年弱繰り返していた子だった。
ある時、廊下ですれ違ったその子の後ろに"人"がいた。
あれって思った瞬間にその人は消えて、嫌な胸騒ぎがした。
それから間もなくその子が亡くなったと伝えられ、皆でお葬式に行った。
あれがあの子にとっての死神なのだと思った。

祖父の時も、またしても母の病気の時も。
母の死神は、母とともに歳をとったかのようにおばさんになっていた。
家の前を歩く母の後ろに付いて歩くその辺にいそうなおばさんがいたから、今の誰?って聞いたら、「え、誰もいないよ」と言われた。
それから、まもなく母の癌が分かった。
自分自身も、死を選ぼうとしたあの数ヶ月、私の後ろにつきまとう人がいた。
私の死神は私より5歳か10歳ほど年上の不健康そうな男の人だった。

そういえば、母の病気が分かった頃、怪我は全然しなかったけど頻繁に父や母が交通事故に遭っていて、父の働くマンションでやたら死人が出て、父は「マンションでよく黒い人型の影が見えるよな~幽霊かなあ」なんて言ってた。
事故や病気やらの悪いことが起こらなくなったら、黒い人影は消えたらしい。
一説によると時期が近い人に黒い人影が見えるとか見えないとか、関係あるのかねえ。


ただ、病院で医師として働いている時は死神?は見えなかった。
そりゃ医者として生命予後(あとどれだけ生きられるか)はなんとなくわかるし、亡くなる前は食べれなくなったり、様子がおかしくなるから、あぁもうすぐ亡くなるなっていうのはすぐ分かるけど。

まあ自分にとって身近な人だと、様子がなんとなく変だなあとかで死期が迫っていることがなんとなく分かるのかもしれない。


そういや、小さい頃は人が亡くなった場所とかも分かったらしい。
幼少期にお母さんと一緒に歩いてて、突然私が道路の真ん中で止まったらしい。
お母さんが行こうって言ったら「動けないの。足を掴まれてるから」って私が答えたらしい。
そこはつい最近飛び降りがあった場所だったらしかった。
他にも「もう会えなくなるから会いに行く」って急に泣き喚いて手が付けられなくなって、そしたらその日その人が亡くなったとか。


さすがに今はそんなドンピシャなことは起こらないけど、あぁここなんか嫌だなって思って調べたら死亡事故現場だったとかはたまにある。
まあそもそもなんか嫌だなって思っても一々調べたりしないけど。


死神は見えても、幽霊は見たことがない。
明晰夢やら幽体離脱やらをやってやろうと(幽体離脱も明晰夢の一種だけど)あれこれやってたら、金縛りにあったことはあるけど、残念ながら幽体離脱は出来ず。
できたら、寝てる時間を有意義に使えると思ったんだけどな、楽しそうだし。

そういや、自殺未遂してしまった時、臨死体験したなあとか。
あれは臨死体験と言うか分からんけど。三途の川が見えたわけでもなんでもないし。
太古の昔の地球に生まれたちっぽけな生命になっていて、そのあと海の中のちっぽけな太古の生物になって、植物になって、小動物になって、猿になって、人になって…。
まるで地球の、生物の長い歴史を辿っている、いや体感しているようだった。
地球は奇跡の星、海は恵み、なんて言葉を強く感じたよ。
手塚治虫の火の鳥とかブッダとか読んだような、というかそれ以上の壮大なもの感じたなあ。
あぁなんか、自分の命だって自分のものじゃないし、命を人間ごときがどうこうできるものじゃないとか、命の循環とか、獣とか人間とか命の前では関係ないっていう命の平等性とか(たまたま人間に生まれただけなんだよ、というような)。
そういうのを、神様的な、母なる大地的な、壮大な存在に諭されたというか、教えられたと感じたなあ。
あとは赤ちゃん姿で羽の生えた何人かの天使に幽体離脱みたいな感じに上に連れてかれそうになって、私がめっちゃ抵抗したら体に魂戻って、横見るとかわいい姿の悪魔がニッコリ笑ってた。
私が「死にたくない」と言うたびに、その悪魔はニッコリ笑うから気味悪かった。
私が生きることはこの世界にとって悪なのだろうか、あるいはこれから生き地獄が待っているのか、とゾッとしたなあ。
あと、そのあと大量のカラスに襲われたりとか。
カラスうるさかったなあ。

まあそんなこともあって、なんとなくだけど、人間なんてちっぽけなんだから、命をどうこうしようなんておこがましいとかいうような発想になってたりする。
ブラックジャックでもそんなシーンがあったりするけど、医者やってたら、なおさらそんなふうに思ってしまう。
まあ臨死体験とか言いつつ、普段心の奥底で思っている深層心理が、体も心もヘロヘロな状況で、出てきただけなんだろうね。
つまり、私は命をなんだか壮大な世界の中で見てたわけか。
手塚治虫の漫画の世界かよ、と言いたくなるね。
まあでも、さすがの私も地球とか命の壮大さと、自分がその大きな流れの中でちっぽけな存在であり、かつ、気が遠くなるような長い命の繋がりの中に組み込まれているんだというのは感じたなあ。

天使とか悪魔とかは生き残ったことの罪悪感か、あるいは、死にかけたらきっとこういうの見えるだろ的な心理かなあ。
だって、そうじゃなきゃあんまりだからさ。
まあ死ぬ運命に抗ったって考え方もできるけどね。
そうは考えたくないかなあ。

カラスはもうよくわからん。
カラスの鳴き声とか不吉なイメージだけど。

私の母親は病気で死にそうになってた時、死んだおじいちゃんに川の向こうから「こっちに来るんじゃない。まだやることがあるんだから」って言われて、行くの辞めたらしいけど。
未だに、やるべきことはなんだろう、もうやるべきことやったのかな?ってたまに言ってるけど。


で、結局何が言いたいのかって、別に何が言いたいわけでもないけど。
ただ、今度人ならざる者が自分あるいは身近な人の近くで見えちゃったら、気を付けなきゃいけないという警告だと思っとこう。
それが見えたからって絶対死ぬわけじゃなくて、死にかけるか死ぬかだし。

まあこんなの気のせいといえばそうなのかもしれない。
私の友達で幽霊見えるって子がいるけど、どうなんだろうな。
家で亡くなったおばあちゃんとか、道端とかで見知らぬ幽霊とか時々見えるらしいけど。
幽霊見えて良かったことは?って私が聞いた時、試験内容たまに教えてくれたりするんだよーって言ってた、
なんて便利なんだと羨ましく思ったなあ。
考えてみれば、私の死神?見える変な能力も割と使えるんじゃないかと思った次第です。
使い方によっては、漫画の主人公並みのチート能力なのではとか?
まあどうせ偶然なんだろうけど


また、取り留めのない散文を書いてしまった。