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いつか人は死ぬ。
逃れようのない事実で、人生は死ぬまでの時間をどう過ごすかで決まる。

仕事をしている時は人生のその空白の時間を埋められるけど、こんなふうに暇な休日を過ごしていると、時間を埋めることが苦痛になる。
頑張って楽しいと思えることを探してはみるものの、心の片隅でどこか虚しさが残る。

こういう時は生きることが義務のように思えてくる。
死にたいわけじゃない。
つらいことがあるわけじゃない。
ただ、人生という白いキャンバスを何かの色で塗りつぶさねばという焦燥感に嫌気がさすだけだ。
何もしなくていいなんて贅沢が、それをいつもは切望しているはずなのに、どうしてだか苦痛だ。

暇であり、その暇を埋めねばならない感覚が苦痛だ。
空白が怖くなる。

そして、ブログを書くことで気を紛らわして、ほんのわずかな時間を潰しただけだった。
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2019.09.04 気にせず
気にしても仕方ない
気にしたらなおさら挙動不審に
それならば気にせず他にできることを探そう
できることをやろう

がんばろ
今日は職場の飲み会だった。
メンバーは上の先生一人と同期2人。
とってもいい人ばかり。
そして、コミュ力超高くて、空気読むの得意。
コミュ障の私は会話についていけず、ただ愛想笑いしてるだけ、気も使えず申し訳なかった。

ちゃんと話せるように、ちゃんと気使えるように。
そう思うのだけど、どうしてもできない。
やっぱり大人数は苦手だ。
二人だと話しやすい。
聞き役に徹しても、自分が話しても、適度にそれを使い分けてもいいのだけど、とにかく話しやすい。
気も使いやすい。
だけど、大勢になると、何をどうすればいいのか、思考停止というやつだ。

ちゃんと話せる人になりたい。
コミュ力高くなくていいから、せめて普通に。

どうしようもないくらいの絶望的自己嫌悪は抱いていないけれど、これはもう明日くらいに二日酔いとともに自己嫌悪に襲われるんじゃないかと一抹の不安を覚えている。

難しいよ飲み会は。
お酒の力なんて借りれないし。
お酒は好きだけど、私は酒に飲まれるだけだから、あんまり飲みたくもない。
飲むと止まらなくなるタイプだからこそ、自制しなきゃいけない。

というか、もう26(あら、25かな?)だというのに、この醜態。
まあ私よりコミュ力ない人なんてザラだけど、下ばかり見て安心してるなんて、下衆。
まあ落ち込むだけ無駄だから、もし次のチャンスがあるなら、もうちょっとだけでも挽回を目指す。
私はひどい人間だ。
好きか分からないのにずるずると遊びに誘われたら行って、相手のことを振り回してる。
まあ1回目はよっぽど嫌じゃなきゃ相手のことを知るためにも行くのは、全然ありだと思うけど、問題は2回目以降。
とここまで書いて、そんなに何回も遊びには行っていなかったと気付いたけど、でも、相手からの明らかな好意に気付いてて、というか八割くらい言われてて、その誘いに乗るってのは残酷なことなんじゃないかって気がする。

でも、寂しさを埋めるように、その誘いに乗っている。

相手の人が割と真剣っぽくて、罪悪感。
よくないことだとは思っている。
だけど、提案された遊びの内容がかなりそれすごい良い!やりたい!ってことで別に相手のことが嫌いなわけじゃないし、行ったっていいじゃんって思いもどこかにある。

なんかでもこういうの良くないかなって思ったり。
まあでもいいかなあって思ったり。

なんかこういうこと、あと5、6年前に悩んでおきたかったなあ。
母親が度を越した過干渉で付き合うだの好きだのなんて絶対無理だったし、毎日生きるのがつらすぎて、好きだとか言われても、ハアソウデスカって感じで終わってたけど、ちゃんとあの時相手の人と向き合ってればよかったなと後悔。
なんてね、結局、親のせいにしてみるけど、私の問題なんだろう。

そんな後悔もあって、人とちゃんと向き合いたいなあとつくづく思う。
人と関わると傷つくことはあるし、逃げてちゃ孤独になるだけだし。

だけど、人との関係に正解なんてなくて、自分が選んだ道が答えだから、私はよく無回答を選んじゃう。
やっぱり、間違えても何かしら書きたいなあと思う。
もちろん正解したいけど。
https://citrus-net.jp/article/84704
これを読んで久々に泣きそうになった。
聲の形というアニメ(元々漫画だけど私は漫画は1巻だけで、アニメしか見たことないから)を思い出した。

患者さんの多くは高齢で難聴も多いし、年齢に関わらず全く耳が聞こえない人も割といる。
耳が聞こえないとコミュニケーションを取るのが本当に大変で、筆談できる状況ならいいのだけど、例えば手元に書くものがないことも結構あるし、救急の現場ではバタバタしてて筆談する余裕が中々持てず苦労するし、今のタイミングで息を止めてほしいなと思っても筆談だとタイミングが合わないから断念することも多い。
それに細かいニュアンスも互いに伝わらず、本当に難しいなと思う。
でも、これは医療者側から困るなと思うことで、私たちが困るよりも何倍も彼らは苦労してるんだろうなと思う。

耳が聞こえない患者さんはよく聞こえてないのに、分かってないのに、うんうんとうなづいたり、それっぽい返答をしたりすることがある。
耳が聞こえない人が適当な人間だって言うわけじゃない。
そうすることで、きっと話の輪に入ろうとしたんだろうか、コミュニケーションが取れない苛立ちを相手に感じさせないようにしてるんだろうか、なんて想像したりする。
そして、ニコニコしている人も多い。
目が合うとよくニコッと笑いかけてくれる。
これもまた彼らなりの処世術なのかもしれない。

そう思うとやっぱり苦労してるんだろうな。
そんなふうにこの記事を見て、思った。

私は難聴じゃないけど、子供の頃の中耳炎の影響なのか、遺伝なのか、少し聴力が弱い。
難聴の定義には当てはまらない程度、日常生活もさほど困らない。
困るのはコソコソ話が聞こえないことと、どこから音が鳴ってるのか分からず、キョロキョロしてしまうことくらい。
それでも、子供の頃はコソコソ話が好きな女子グループの中でコソコソ話が聞こえず何度も聞き返して嫌な顔をされた。
少し離れた人の声も聞こえなくて、グループで話してる時に話が聞こえず、適当に相槌打ってたら、変な顔をされてしまった。
まあ私の話はどうでもいいんだけど、ちょっと聞こえが悪いだけでも不便なのにってこと。

耳が聞こえないってのは人間関係に深く関わるし、大変だよなと改めて思った。