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2014.12.29
最近やっとまともになってきたと思ってた。
なのに、またここ数日、母はおかしい。

毎日、四六時中叫びあげる。
しんどい!用事をしろ!お前は何もやってないじゃないか
私にではなく父に。
そして、父は用事をするが、そのやり方が悪いじゃないかと叫ぶ。怒鳴る。
普通に言うならまだしも、ヒステリックに叫びあげる。

その矛先は父だけでなく、私にもむかうこともある。
勉強をしていると、勉強をしろとヒステリックに叫びだす。
今してるから黙ってというと余計に叫ぶ。

しんどい!自分ばかり用事をしてる!
そうやって母は叫ぶ。
それはがんばってる父や私を苦しめる。

それに叫ぶのは近所迷惑だといっても全く聞く耳を持たず、しんどいのにというばかり。
父も私もしんどいなら病院行けばと言うが、行こうとしない。
お金がないから行けない!我慢して死ねばいいんでしょ!私が死ねばみんな喜ぶでしょ!
そういう母に何を言っても無駄なのだ。

普通に言い返しても無理。
ひどくけなしても無理。
褒めても無理。
なだめすかそうとしても無理。
大人数で言っても無理。

一度興奮すると誰も止められない。

正直、そんなことを毎日されたら、こちらが先に死にそうだ。
かなりおおらかな父も限界が近づいてるようだ。
あまりひどいときは殺意すら感じる。
もういっそなんて、ふと馬鹿な考えがよぎる。
なぜ私たちはこんなにも苦しまなければならないのか。

こういう時、大抵は母も苦しんでいるということが多いだろうが、
私の母は違う。
何も苦しんでいない。
悪いとも少しも思っていない。
母は何が悪いのかすらわからないのだ。

まるで「Nのために」ののぞみちゃんの母親みたい。
けれど、あの人のほうがましだった。
あの人は月に一度か二度だけ発作のようにおかしくなるだけ。
けれど、私の母は日の3分の1はおかしい。
そして、それが毎日。

そうした母の異常な行動のせいで今まで随分苦しんできたのに。
そのせいで、自分までおかしくなりかけてたのに。
やっと自分の人生を取り戻せ始めたのに。

また引き戻されると思うと母が恐いし、にくい。

母だけが悪いと責めるだけでは解決しないし、私は母とちゃんと向き合いたい。
だけど、どんなにしても母は私の言葉も父の言葉も他の人の言葉も心には届かない。
それに、病院には行きたくないというばかり。
どうにか説得して行かせても、そういう時はまともなのだ。

叫んだり怒鳴ったり暴力振るったりするのは甘えなのだろうか。
病気なのだろうか。
私にはわからない。
まだ精神科に知識はあまりないし、そもそも精神科は経験を積まないと診断も難しい。
それに、親子といと近すぎる存在だから自分も当事者になってて冷静に見れてない。

精神科に行ってくれるとも思えないし、別に精神科でなくても構わないと私は思ってる。
しんどいってのが本当に叫びだくなるほど怒鳴りたくなるほどなのだとしたら、心配だし早く病院に行って治療してほしい。
だから、内科に行ってと言ってる。
けれど、さっき言ったようにどうせ死ぬから構わないとか言って、病院に行かない。
それに例え病院に行っても、耳障りのいいことしか聞かない。

つらい。
だけど、前みたいに耐えろと自分に言い聞かせることしかせず諦めるようなことはしたくない。
きちんと母と向き合う努力はしているつもり。
ただ、ふと折れそうになった時こうしてブログに愚痴を書くと思う。
読者を不快にさせてしまって申し訳ないけど許してほしい。

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ついに3000アクセスを超えた。
というか、数日ぶりにこのブログに来てみたらいつの間にか超えてた。
来ていただいたみなさん本当にありがとうございます!

色々と書きたいことはあったけど、なかなか書く時間がなくて、書けずじまい。
このまま年を越しそうだ。
と、また短めだがこの辺で。
2014.12.24 ファンタジー
ホビットみたいなファンタジー王道のものを見るとどうしても憧れる。

なんだ、お前は子供か。
そんなことを言われようともふと思ってしまうのだ。

ああいう世界に一度でいいから行ってみたい。
ただの憧れ。
現実から逃げるとかではなく、すてきだと思ってしまう。

誰かを守るために命を懸けて戦ってみたくなる。
けれど、そんな肉体も精神も持ち合わせてはいないのだけど。

聖夜に願うはファンタジーか。
大学生にもなって子供が抜けない。
2014.12.24 ホビット
ホビットを見た。
やはりあの世界観は最高だ。
美しい。

他にもいろいろと感想を書きたいが、今日はこのへんで締めくくる。
なんと短いブログか。

メリークリスマス!
2014.12.18 怪奇大作戦
最高に面白いドラマを見つけてしまった。
その名も「怪奇大作戦」。
ウルトラマンとかで有名な円谷プロダクションが1960年くらい(はっきりいつだったかは覚えてない)に
制作したドラマ「怪奇大作戦」(これが原作)。
これをもとにリメイクしたのがNHKで深夜に今放送している。
もうすでに4話放送されてるが、1話完結型だから今からでも全然話についていける。
深夜だから仕事が次の日ある人は録画してみれば問題ない。
と、なんだかこのドラマの関係者でPRしてるみたいになってしまったが、
とにかく面白い。
とここまで書いといて、ggって見ると4話で完結のようだ。
だから、見たい人は再放送を待つかyoutubeで探してみほしい。

怪奇というだけあって、おどろおどろしい事件が起こるのだが、
ただのSFホラーじゃない。
犯人の動機や事件が起こった要因、さらに怪奇な事件を生み出した科学のあり方などが細かく描かれている。
切なくて、とても考えさせられるドラマだ。
それに、ドラマに出てくる実験室や建物の様子が非常にリアル。
2話目で出てきた実験室なんて本物そっくりだった。
さらに、映像のタッチや演出の仕方が1960年代っぽい感じの味のある雰囲気で、
それにより怪奇な事件の恐怖や事件の真相のもの悲しさなどがよく表れている。

ああいうドラマをもっと作っていってほしいが、今の時代はああいうドラマは求められていないのだろうか。
1960年代のドラマは他にどんなものがあるのかは知らないが、
例えば(昔の方の)映画「砂の器」も怪奇大作戦(原作の方のドラマ)の頃と同じくらいだろうが、差別の悲惨さと切ることのできない親子の思い(宿命)などが深く胸に刻まれた。
あの頃のドラマや映画は今よりも深いんじゃないかと思う。
何より人生における悲惨さ、絶望、引き裂かれるような思い、恐怖、そういったおどろおどろし気な、けれど目を背けるべきでないものが非常によく描けれていたように思う。
今のドラマはそういうものから目を背けているような気がする(全てがそうではないにしても)。
差別や嫉妬、劣等感、厭世感、死への恐怖、恍惚感、そういったことをただ「よくないこと」として片づけてしまい、
向き合おうとしなくなってしまった。
人間の負の感情と向き合ってはじめて、それがなぜいけないのかがわかるんじゃないだろうか。
表現の自由があるというのに、なぜこんなにも窮屈になってしまったのだろう。
そうして窮屈にすることで、本質を見失ってしまっているように思う。
2014.12.18 ちょうど1年
このブログをはじめてちょうど1年といいたいところだが、数時間過ぎてしまった。
このブログで初めて記事を書いたのが1年前の12月17日だった。
あの頃は1年も続くなんて思ってなかった。
もちろん続けたいとは思っていたが、続けれる自信は皆無だった。

ふつうはあっという間に1年が、というのかもしれないが、
この1年は非常に長かった。
そして、非常に苦しんだ。
人間関係で苦しみ、再試で苦しんだ。
そればかりか将来に絶望し、自分に絶望し、死まで考えた。
けれど、苦しいことばかりじゃなかった。
乗り越えられないと思っていたトラウマや自分のコンプレックスと向き合うことができた。
そして、乗り越えられないまでも囚われなくなった。
ということは、もうトラウマでもコンプレックスでもないのかもしれない。
とにかく、前に進めた。
もしかしたら前に進めたわけではないのかもしれない。
何も成長なんてしていないのかもしれない。
だとしても、私は息の詰まる毎日から抜け出せた。
もうそれだけで十分だ。
やっと生きる喜びを感じられた。
生きている実感が持てた。
それに支えてくれている人たちの暖かさを感じられた。
例えダメな私でもいいと、自分を受け入れられるようになれてよかった。

本当に生きててよかった。
あの時、死ななくてよかった。
例え、あの時死んでればよかったと思う日が来たとしても、私はそれでも構わない。
生きていたい。

と、哲学もどきなことをダラダラと言ってもしょうがないのでそろそろ締めようと思う。

たわいもないことをただダラダラと書き連ねているだけなのに、このブログを読んでくれているみなさん、
本当にありがとうございます。
このブログに書くことで気持ちが楽になったこと、たくさんあります。
コメントをくれて、それにいつも勇気づけられていました。
本当にありがとうございます。

そして、これからもよろしくお願いします。
もうすぐ試験だというのにはかどらない。
というか、なんだかのんびりしてしまってる。

試験の様式が選択式ということもあって、どうしても危機感がない。
危機感がないと、なかなか勉強もはかどらない。
焦ってもはかどらないが、危機感がないもの問題だ。

適度な危機感を持てたらいいんだけど。

とはいいつつ、さすがに目前に迫ってきて焦りを感じはじめた。
やらねば。
というか、ここでやると宣言すればできる気がする。
頑張ろう。

とここまで書いといて、またあのジンクスを。
ここでいい報告ができるようにしたい。
2014.12.16 遺品整理士
遺品整理士の特集をしていた。

番組の途中、母が言った。
私は別にものには拘らないから、捨てたって平気だ、と。

そう言われて、ふと思い出した。
人生をやめたいと思ってた時、小さい頃のおもちゃや写真を全て捨てようとしたことがあった。
結局、母に止められて捨てたのはおもちゃだけだったけど。

そういうことがあるまでは私も、ものはただの“もの”だと思ってた。
だけど、ものには一つ一つ思い出がある。
だから、人は大切な思い出のあるものをなかなか捨てられない。
これは母が買ってくれたシャーペンとか、これはあのとき喧嘩して投げつけた座布団だとか。
他人からしたらなんてことないような思い出だし、普段はそういうのを思い出だなんて思うこともない。
だけど、いつかそういう普通のことが思い出になる日がくるのだろう。

来てほしくないそんな日を想像して、切なくなった。
そして、今見えるもの全てが愛おしく思えた。
2014.12.15 ザ漫才
試験がもう間近だというのにザ漫才を見てしまった。
全くだ。

優勝したのは博多華丸大吉だった。
知名度も高く、地位を確立してる人が優勝するのは、若手がかわいそうにも思うが、
やっぱり実力があまりに違いすぎてた。
さすがだな~と感心してしまう漫才だった。

とまあ、ありきたりな批評をした後で、またたわいもないことを。
馬鹿よ貴方は個人的には好きだな。
面白いとか面白くないとかじゃなくて、ああいうちょっと危ない奴の醸す笑いというか空気感は好き。
種類は違うけど、もう中学生とかガリガリガリクソンとかも好きだったな。

ただ、こういうザ漫才とかの番組見てると、ああ今年ももうすぐ終わるんだな、と感慨にふけってた。
なんだか正月みたい。

そして、思う。
もうじき私がこのブログを初めて丸1年が経とうとしてる。
もっと長い間書いてる気がするんだけどそうでもないんだな。
にしても、日記(このブログは日記として書いてるから)なんて今までこんなに長い間続いたことなかったから、改めて考えてみればよく続いたものだな。
そして、これからも続けていきたいな。
もっともブログを始めてから完全にはまだ1年断ったわけではないから、ちょうど丸1年経った日に改めて振り返ろうかなと思ってる(その予定)。

では、このへんで試験も近いし、一応あのジンクスを。
ここでいい報告ができるようにしたい。
2014.12.08 いやな日
もう愚痴とかネガティブなことを言うつもりはなかった。
ブログでもって実生活でも。

たけど、今日くらい。

朝から最悪だった。
私は電車で大学に通ってて電車賃は電子マネーで払って。
今朝、最寄り駅の改札通ろうとしたら電子マネーにエラーが出た。
けど、忙しかったのか降りる駅で直してもらうようにって言われた。
だけど、私の降りる駅は田舎の小さな駅だからエラー直せる機械なくて、結局現金出払うことに。(けど、現金の方が割高だしなんなんだよとイライラ)

けど、そんなのは対したことなくて、
というかやっぱり人間関係。
最近、いつも一緒にいたメンバーで、前ギスギスしてた人が親切だった。
けど、なんでか今日は不機嫌っぽい気する。
何、私なんかしましたか?
怒りというより、
またあの日々に戻る恐怖。

結局、私は変われないのか。
周りの人間に振り回されてばかりだ。

けど、やんなきゃおけないことは多いし。
もうやだ。

けど、私頑張る。
というか、去年みたいに再試に苦しみたくないし。
できることをやるよ。
けど、なんだよ。