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うじうじ…
もうやめよう。
レポートやらなきゃ。
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結局のところ生きていても死んでも迷惑をかけるんだろうな。
こんなダメな奴が生きる道はあるんだろうか。
こんな人間になってしまうなんてな。

だけど、こんなはずじゃなかった、とは思えないのだ。

いじめられて、人間不信になって人とうまく話せなくなってから、私は自分の人生を諦めたのだ。
私はダメな人間だから、頑張らなきゃって頑張ってきた。
私なりに頑張ってきた。
人間関係も高くを望まず、仲良くしてくれる人が話してくれる人が一人でもいたらいいなというスタンスで来た。
恋愛、結婚なんて私とは次元が違う話だと、好きな人も作ることすらなかった。
ただ、一つ。
両親を悲しませたくない一心で自殺だけは思い止まってきた。

大学に入ったからって、人生を諦めるのをやめたわけじゃない。
やっぱり諦めていた。
そして、私のできる限り頑張ろうとしていた。
だけど、もうすぐ社会に出なくてはいけなくなった。
そして、それまでの人生で、そして大学で「勉強だけできてもダメだよ」「(人とうまく話せない)そんなんじゃダメだよ」「まだ時間あるから(社会性がないところを)直さなきゃね」などと言われてきた言葉の意味が分かったのだった。
社会に出たら勉強だけできても使い物にならない。
私には応用力や判断力もあまりないし、人とのコミュニケーション能力もない。
そんな私が社会に出たらどうなるのか、はっきりと分かった。
そして、そんな私のような人間は社会不適合者とされていて、"生きることができない"と知った。
いや、ずっと分かっていたその現実から、目を背けられなくなっただけだった。
絶望した。
社会のために死ななきゃいけないのか。

でも、家族がいるからとかろうじて死ぬのは思い止まっていた。
だけど、上記の理由と大学の人間関係の問題から落ち込んで無気力になっていた私に(当然といえばそうなんだけど)母は苛立ち暴言を吐くようになった。
まあ私への苛立ちよりは隣人や夫(私の父)への苛立ちをぶつけられることの方が多かったけど。
なんだかそんな日々が続けば、追い詰められていき、ある日「もういいや」って思ってしまった。

命が大切、だけど、もういいやって。
両親を悲しませたくないけど、もうなんかいいやって。
何もかももうどうでもいいや。
死ぬときの苦痛も死体の凄惨さも解剖も何もかももういいやって。

だけど、そんなの卑怯。
みんな頑張ってるし、私のために色々とやってくれたりもしたのに、その好意を無下にするなんて最低。
それに、どうするのが正しいのか分かってる。
結局、私は死ぬことなんてできないし、死ぬことなんて望んでいない。
頑張って自分の欠点を克服するか、人生を諦めて生きるかしか道はない。
克服できないのだったら、せめて人様に迷惑をかけないためにも自分の能力に見合った場所で働こう。
だけど、こんな私を果たして受け入れてくれるだろうか。
同僚との人間関係さえもまともに築けない私にできる仕事なんてあるのだろうか。
生きれる自信がない。
それでも、生きなきゃいけない。

こんな人間はどうすればいいのだろう。
そう言うと、皆口を揃えたように言うのだ。
「甘えてる」って。
甘えてる?
頑張ってるけど能力がないのに、と少しムッとなる。
だけど、すぐに「甘えてるよな。その自覚はある。でも、どうすればいいのか分からないから聞いてるんだ」ってなる。
で、相手は「じゃあ、死ねよ」っで面倒くさそうに言うわけだ。
で、数日思い悩んだ挙句ふらふらっと死のうとすると、「死ぬなんて身勝手な真似すんな」と怒られる。

たぶんみんな欠点を克服して頑張ってるんだろう。
だから、うじうじ言ってる私みたいな甘えた人間に腹が立つのだろう。
だけど、せめてどうすれば人とうまく話せるようになるのか、ヒントくらい教えてくれても…
あぁ、こういう他力本願なところが腹立つんだろうな。

いや、上みたいなのってネット上で、現実は(心の中ではもしかしたら上記みたいに思ってるかもしれないけど)、
優しい人もいる。
というか、なんだかんだ大半の人達は優しい。
ナイスなアドバイスがもらえるかは分からないけど、親身に話を聞いてくれたり気遣って遊びに誘ってくれる人達はいるし。
そういう人がいる現状がありがたい。
そう言う人の好意を無下にしないためにも生きなきゃな。
これといって痛みもなく、衣食住に困っておらず、家族は優しく、ポリクリ班にも恵まれて、大学という居場所もある。
幸せじゃないか。
それで十分じゃないか。
何を高望みしてるんだ。
社会で生きていける能力がないから死にたいだって?
まあ正確には死にたいというより、もう死ぬしかないよな、だけど。
とにかく、そうやって死に逃げるところがダメなんだ。
死ぬという選択肢はない。
とにかく、今はレポートや勉強をやることが大事だ。
人間関係も諦めず。
それでうまくいかなかったとしたならそれまでだ。
大丈夫。
生きなきゃいけない。
身勝手に命を、それが自分のでさえ、奪ってはいけない。
臨死体験中に、そう神様的な存在に悟らされた。

また、暗い未来しか想像できなくなってる。
このまま人とうまく話せないままなのだろうか。
仕事もうまくいかず、同僚との人間関係もうまくいかず、家族も持てず…
そんな人間ではダメだと人々は言うけれど、どうしたらいいのかもう分からない。
どうしたら人に嫌われてる恐怖が拭い去れるのか、なぜ私はこんなにだめなのか。
衝動的に死にたくなるけど、死のうかと思づてしまうけど、死んではいけない。
家族や友人、知人に迷惑をかける。
だめな自分が嫌で、そんな自分ゆえの暗い人生を創造して身勝手に死ぬなんて許されない。

このまま一生、ダメな自分に苦しめられるのだろう。
それでも生きなきゃいけない。
なんてイライラする奴なんだ、自分は。
気を紛らわせるために勉強をしよう。
ふと沸き起こる自己嫌悪だとか現実逃避とか不安とか怒りとか、そういうのから目を背けるためにメックを。
いや、もちろんちゃんと知識を得たいって思ったから。
今勉強したことで、誰かが救われるのならっていう思いが7割。
だけど、あとの3割は考えたくないことからの逃避。
私はこうやって逃げることにした。
高校の時、そうだったように、また私は自分から逃げることにした。
本当はみんなと気軽に話せるようになりたい。
本当は人と対等で良好な関係を築けるようになりたい。
現実を受け入れ、他人の苦しみも受け止め、覚悟と責任を背負う一人前の人間になりたい。

だけど、どうしたらそうなれるのか分からないんだ。
頑張ってみたけど、"私の"生き方はどこにも書いてはいなかった。
それっぽいことを目にしては試してみたけれど、どれ一つうまくいきはしなかった。

だからって、諦めるわけじゃない。
ただ、このまま思い悩んでいても、きっと永遠に私はこのままなんだと思う。
だから、まずは勉強しなきゃ。
そして、一つずつ、本当の意味で覚悟決めて、克服していく。
私はもう自分のためだけに生きるなんて苦しくて無理だから、他人のためにでも生きなきゃやってけそうにないから、
そんな自分勝手な理由で医師になる覚悟をしてしまった。
"役立たず"として生きるには日々がつらすぎる。
日々の生活を楽しいものにできないなら、他人のために生きれたら少しは自分を許せるんじゃないかって、自分勝手な私は思った。
傷付いたり嫌な思いになったり絶望したり、
そういう気持ちになったなら考えるのはやめよう。
考えたって苦しくなるだけだ。
苦しくなって、何も手につかなくなるだけだ。
私はなんて馬鹿だったんだろう。

嫌な感情の原因から目を背ければよかった。
どうすればいいんだろう、とか、どうしてできないんだろう、とか、なぜ分かってもらえないの!とか、考えるだけ無駄だった。
考えることを放棄すればよかった。
そして、落ち着いて冷静になってから、それから考えたんでよかった。

自己嫌悪や未来や自分への絶望や周りの人への失望、怒り。
考えれば考えるほど悲しみや怒りは大きくなり、私はそんな感情に飲み込まれていた。
壁にぶつかった時、なぜ?どうすれば?なんて考えるだけ無駄なんだ。
そんなことよりまずは落ち着くことを考えればいいんだ。

こんな簡単なことも忘れていたなんて。
前は「冷静に、落ち着いて」がモットーじゃないか。
いや、それでもなお冷静でいられない状況だったのだけど。
そんな時だからこそ、冷静でいられない時ほど冷静さを持たなきゃいけなかったんだ。
時には感情的になる、と言うけど、私は感情的になるんじゃなく、ただ感情に飲み込まれていただけだった。

ただ、たぶん心のどこかで感情に呑まれる自分に酔ってたのだろう。
普通じゃない人生をどこか望んでいた自分がいた気がする。
でも、悩む人生は面白おかしいわけじゃない。
波乱万丈はつまらない上に苦痛だと思った。
来る日も来る日も砂しかない砂漠をたった一人で彷徨い、いつになったら抜け出せるのかも分からぬ日を重ね、それでも歩き続けなければならないのは、もう耐えられない。

いや、違う。
自ら望んでいたわけじゃない。
"波乱万丈で(悲劇的な)小説のような人生"という自負だけが私を支えていた気がする。
現実でない小説の中の話。
そんな現実感の喪失によって、自分の心を守っていた気がする。
私はいつもそうやって現実から目を背けてどうにか耐えてきた。
けれど、そういう目の背け方は苦しい。
現実から目を背けるのではなく、単に苦しみの原因から一時的に目を背けて、落ち着いて、"頭で"解決策を探ればよかったんだ。

これからそうやって生きていこう。
これが間違っているのかもしれないけど、しばらくはそうやって生きてみよう。

人のせいにして甘えて死に逃げ込んで。
こんな自分が嫌だから死ぬんじゃなくて、
こんな自分が嫌だから生きようと思った。
直せるならば直したい。
でも、たぶん人ってそう簡単には変われない。
クズな甘ったれた自分を治す方法なんてそうそうない。
だけど、「だから死ぬ」っていうのは本当のクズになってしまう。
今以上の救いようのないクズに。
せめて生きよう。
私にとって生きることが苦痛であるなら、生きる選択はある意味自分への罰だ。
母のこともそう。大学での人間関係もそう。
将来のプレッシャーもそう。
人のせいにするのは容易い。
母にもチアキにも悪いところはある。
それによって傷ついたのは事実だし、そこから逃れたくて死のうとしたのも確かだけど、
母やチアキのせいにして死を選んだ自分が最も悪人だ。

もう人のせいにはしない。
死にたくなったとしても、どんなに苦しくて死ぬしかないと思ったとしても、逃げ出したくてたまらなくなったとしても、私はもう決して逃げない。
現実からこの世界から自分からもう絶対ににげない。
これは私の自分に課した罰だ。
死に損なった罰だ。
生きて、なんとしても生きて自分の罪を償う覚悟で生きていく。

もしこの決意が揺らぎそうになったその時は、また死のうとしたその時には、このことを思い出そう。
自分の罪を償うまでは死んではダメだ。
一人だけ逃げようなんてあまりにも卑怯。

もう容易く死ぬなんて言わない、考えない。
2016.08.22 嘆くばかりで
なんかさ、報われないとか理不尽とか不平等とか生まれ持ったとか、そういうの乗り越えて頑張ってきたつもりだったけど。
大学に入って、社会人を目前にして、先が見えてしまったんだな。
そうやって努力したって、結局、大した人間にはなれなくて、"普通"の幸せさえ手に入らなくて、母からも罵られるし、中々友人はできないし、頭の限界も感じてて、
ただ、普通に平穏に日々を送りたかっただけなのに。
あーこうやって息の詰まる人生送るんだなって。
こんなことだったら、勉強じゃなくて、人間関係を学べばよかった。
良い頭じゃなくて良い顔に産まれたら。
とか、思うけど、結局、だめなのは自分だって分かっている。
そうやって、理不尽さを感じながらも皆頑張ってるんだし、そんなこと嘆いていないんだし。

だけど、どうやらやっぱり私は生きることに向いていないみたい。
コミュ障だし、気弱だし、要領悪いし、自分を出せないし、そんな自分を自分で責めて追い詰めて…
だけど、どうやら医師免許があったら、コミュ障でもどうにか生きてはいけるらしくって、ある程度は余裕のある生活も送れるみたいで、それは幸せと言えるんだろうけど。
毎日の人間関係がうまくいかないのは、普通につらい。
私が弱いのがだめなんだけど、母の言葉に傷付くし、その言葉で疑心暗鬼になるし。
〇〇ちゃんってtoumaのこと嫌ってるよ。ねえ、知ってた?
もうやめてくれよ、良い加減にしてくれ。
その言葉がつらいんだよ。

なんかもう私、最低の人間って感じだな。
嘆いてばかりのクズ。
人の言葉に傷付いてはダメなのだろうが、傷付くよ。
なんでこんな奴生まれてしまったんだろう。
なぜこんな奴が助かってしまったんだろう。
死にたくないって気持ちが薄れてる。
助からなければよかったかもしれない。
なんて思う私は最低の人間だ。
今日は綺麗事はやめよう。
希望と現実は違う。
今日は認めたくない現実を記そうと思う。


いくら否定しようとしても、見ないフリをしても、いけないことだと分かっていても、
死を渇望している自分がいる。
手すりやドアノブなんかを見ていると、ふと(本当にふと無意識的に)「これだと体重支えられそうだな」と思っている。
「今いる場所って何階だっけ?4階から死ねないな」なんて思ったりしている。

死にたくない。
と同時に、死を求めるもう一人の自分がいる。

それから、太宰治とか種田山頭火みたいな人生にどこか惹かれている。
不幸で自堕落でまさに"人間失格"というのに憧れている自分がいる。

思春期や青年期のソレか。
そんな自分がひどく嫌だ。

環境のせいか。
そんなようなことを心療内科では言われたが、だとしたらどうして私は悩みもがきながらも、どこかそれを愉しんでいるのだろう。
プロフィールの趣味の欄に悩むことって書かなきゃいけなくなりそうだ。

悩んでいる自分かっこいいーみたいなやつかもしれない。
だとしたら、そんな自分が大嫌いだ。
私は良識人になりたいというのに、私の中のもう一人の怪物は現実から逃れたくて暴れている。


それと、
「あー、私は自殺未遂というやつをやってしまったんだ」と今さら急に、あの出来事を現実として感じた。
テレビや小説の中だけだと思っていた自殺とか殺人とかは全く"ひとごと"じゃないんだなって、どこか他人事みたいに思っていたけれど、
唐突に単なる後悔や罪悪感としての現実が襲ってきたような感じがした。

一生消えない黒歴史の中でも、今回のことは笑い飛ばすことのできない大事なんだなって。


もう二度と自らの手で死なない。
これは、命が大切だから、産み育ててくれた両親や助けてくれた医療者たちに申し訳ないから、誓ったはずが、
"死んだら終わり"の原則で容易く崩れ去りそうだと感じている。
そうならないために名一杯の自制と、予防策はしているが、どうなるのか分からないのが人生。

それで、あの時の状態を思い出した。
暴れ狂う気持ち悪さ、一秒一秒が地獄のような苦しみ、吐いても吐いても止まることのない嘔吐、独りぼっちの死の恐怖。
どんなことでもしますから、地獄に行ってもいいですから、この苦しみからどうか解放させてください。
あの苦しみを再び味わうことだけは絶対に何があっても避けたい
避けるためなら、この命も、なんなら大切な人の命さえも差し出してしまいそうなほどの苦しみだった。

それと、"何度も自殺未遂をした構ってちゃん"にはなりたくない。
未遂のことを言った(唯一言った)友人は、未遂のことを言ったあとから避けているような気もする。
言いふらされはしないだろうが、避けられたなと。
おそらく次死に損なえば、もっと多くのものを失うだろう。
死ねたとしたなら、それは私の本望でない。
どちらにせよ、望まないことになる。

今、私の自殺衝動のストッパーは皮肉にも先の未遂だ。
綺麗事を言えば、両親を悲しませたくないとか、命は大事とかだが、
衝動は容易くそういう綺麗事を凌駕してしまう。
あの地獄の苦しみと、死ねても死に損なっても望まない結果だということが、大きく食い止めることになっている。


ただ、これでいいのだろうか。
未遂を言った友人は「みんなそんなもの」と言っていたが、ならばもっとみんな死んでいると思う。
いやいや、"まだ"生きている私が言っても説得力がないだろうか。
このまま一生死の影を背中に纏いながら、衝動を抑えながら生きていったのが正解なのだろうか。

ドラマ「ON異常犯罪捜査官」で、人の心が分からず殺人犯と近い気持ちを持つと悩んでいる主人公に「まだ殺していない。それが大切」ということを心療内科医の中島先生というのが言っていたが、確かに一線を超えるか超えないかは大事だ。

私は一度は一線を越えたが、生きているのだからまだ戻れる。
死にたくない。
なのに、死を渇望している。
まるで死神が私に取り付いているみたいだ。
だけど、臨死体験で私をあの世に送り込もうとしたヤツは天使で、だとしたら"死ぬ運命"なんじゃないかと思ったりもする。
これはこういう妄想なのか。
いや、やはり逃れられない死の運命なんじゃないか。
医学生である前に、オカルトに陶酔してしまった厨二病のようだ。

そして、そんな自分がひどく嫌いだ。
2016.08.10 心療内科
やっと(迷いつつも、私はやっとという印象)昨日、両親とともに心療内科に行った。
ネットで調べて、上の方にあって、ホームページ見て良さそうなところに。
前のは違うところに。
ビルの二階にあるそこは隠れ家のようだと思った。

優しそうで、話しやすい先生だった。
私としてはかなり気に入った先生だった。
両親はtoumaよりも気の弱い人っているんだねと言っていた。

診察前、どこまで言うか何を言うかずっと迷っていた。
最初に直球で"その時"の気持ちを聞かれて答えれなかったけど、徐々に色々と話して、まあまあ話せたんじゃないかと思う。
大雑把にだが、大学の人間関係で悩んで落ち込んだりしてたこと、母とのことを話した。
さすがにそれまでに何度も死のうとしたことや、死ぬためにロープを購入してたことまでは言えなかったが。
ただ、「それは大変やったね」と何度も言われた。
これが共感的態度かなと頭の隅で思いつつも、"私が全て悪いというわけではないのかな"、"原因は環境かな"という思いも感じていた。
大学での人間関係については「運が悪かったね」とも言っていた。

結論としては問題はないし、治療の必要もない。
ただ、母との共依存の問題でカウンセリングをしてもいいけど、私のいる県ではそれをやっているところはないから、県外まで行かなきゃいけない。
他にも私の通う大学の教育学部の教授(副だった気も)ならもしかしたらできるかも、と。
現実的に県外までは難しいし、自分の通う大学っていうのも…と言うと、選択肢として知っといたらいいと思うと。
そして、最後に「あまり思い詰めないように」と言われた。

そのあと、両親からも話を聞いて、両親への説明では「これから来る必要はない、もし気になったりすることがあればまた来てくれたらいい」と。

とりあえずは病院に行けた。
そして、問題もなく、これから通院の必要もないと。
もう二度とあんなことはしないように思い詰めないように、だな。


そういや、全然関係はないが、心療内科に行ったその後、録画してたドラマ「ON 異常犯罪捜査官」で心療内科がかなり出てきて、なんか気まずいというか気恥ずかしいというか、だった。
あと、他にも世界仰天ニュースで臨死体験についてやってて、タイムリーだと思ったり。
自分に関連した事柄がテレビで流れたり、(事情を知らない)誰かとの会話に出てきたりするとドキッとする。
そういや、退院して次の日のポリクリで班員が「患者さんに『死にたいと思うんです』と言われて戸惑った」って話してて、内心ドキッとしながら「どう答えていいか迷うよね」と答えたことを思い出した。


忘れることはできないけど、
自分のしてしまったことに対して忘れちゃいけないと思うけど、
引きずるのは違うと思う。
引きずらずに、前に進んでいこうと思う。